【岩泉の森の人にきく】清水畑商事・田鎖 政夫さん

山と暮らしをつなぐ鎖(チェーン)
”二人の田鎖(たくさり)さん”

part2:清水畑商事有限会社 代表取締役 田鎖政夫氏

―社名にある「清水畑」の由来、歴史を教えてください。

もともと家に井戸があって、それを「しず」といいました(*注1)。またその脇に畑があったので「しずはたけ→しずばた」になったと聞いています。清水の端っこにあったからとも聞いているけど、いずれにしても、昭和32年に浅内駅が開通する時に用地買収で移動したので、どちらかは分かりません。浅内駅開通時は私は小学校1年生で、日の丸を振った記憶があります。パチンコ屋もあって賑やかだったものです。

 

―清水畑商事はどんなことをしていますか?

当時は炭、薪(束木)を取り扱っていて、駅舎に運んで流通させていました。昭和34年頃には鉄道の枕木も製造していました。その頃は「清水畑商店」で、昭和37年に今の工場を建て会社化して「清水畑商事」になりました。

リンゴ函を作っていましたが、段ボールが主流になったので、ラミナや建築材にシフトしていきました。外材が入ってきた当初は原木が安かったので、宮古に上がる米松を挽いたこともありました。様々な特殊な製品にも対応できていたのが強みでもあります

私は29才のときに岩泉に戻ってきました。大学を卒業して東京で電気関係の営業をし、転勤で大阪にいたのですが、長男だったこともあり戻ってきました。当時は工場に20人いて(現在は7人)活気がありましたね。

*注1:アイヌ語の「スム・スィ〈水・穴〉」が「シズ」に転訛し、それが和語の「しず〈清水〉」になったという説があります。

(冬の土場)

―岩泉が目指す方向とは?

視察に行った西粟倉村では、行政が森林組合を巻き込んで山に利益を還元する仕組になっていることが素晴らしかった。我々のような木材加工業の仕事も、持続可能な森林づくりにつながることが大事ですね。またフローリングメーカーのマルホン様では、データの蓄積、見せ方、製品を知るための体験が大事だと感じました。

視察を経て、自分たちは素材や製品を知っているけれど、きちんと顧客に伝えていないことに気づきました。東京で営業マンしていたときを振り返ると、売上に繋がっていたのは、取引先に他社製品との違いを、実物を見せ実演したときだったなと。

大量生産型になって規模が求められる市場では地方の企業は生き残れません。特に岩泉は同じ土俵では戦えないから、広葉樹を活かす、針葉樹の加工度を上げるなどの工夫をして、付加価値をつけていかないといけない。無節でなくても受け入れられる変化もあるので、色々と挑戦していけると思います。

(自ら製材作業する田鎖さん)

 

―岩泉の樹で好きなものは?

キリかな。軽くて、温かみがあります。かつて「南部桐」があったので見直したい。たくさんある広葉樹は色や香りに特長があって楽しめます。キハダやカバなどは樹皮を利用できたりと活用の仕方も様々あって可能性があります。岩泉の豊富な広葉樹林を「宝の山」と言ってくれる人もいますが、地元の人間がその価値に気づくことから始めたいですね。

 

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会社名:清水畑商事有限会社
所在地:〒028-2231 岩手県下閉伊郡岩泉町浅内字小森69
事業概要:針葉樹製材、広葉樹製材